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知ってた?昭和を代表する歌、実は平成生まれだった。

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知ってた?昭和を代表する歌、実は平成生まれだった。

時代は「令和」にかわりましたが、ふと口にするあの名曲、実は「昭和」ではなく「平成」うまれかもしれません。

平成の名曲をMYリストや保存MYリストとしてヒットソング集を作ったりしましたよね。CDやMDに入れて。平成の名曲のメロディーを口遊みながらドライブ最高でした。発売日にCDを入手したりCDの楽曲一覧をみてカラオケ用にしっかりと覚えたり。

令和のこの時代はスマートフォンに保存して終わりの時代。楽になりましたが少しもの足りない気もします。

平成の名曲を奏でた女性アーティストといえば宇多田ヒカル、安室奈美恵、中島みゆき、美空ひばり、浜崎あゆみ、西野カナ、高橋洋子、初音ミクなどでしょうか。そして平成の名曲を奏でた男性アーティストといえば氷室京介、平井堅、嵐、米津玄師、スピッツ、サザンオールスターズ、福山雅治、小田和正、ゴールデンボンバー、星野源などすぐに思い浮かびます。

今回は昭和の名曲と思っていた平成の曲に、スポットをあて探っていきます。

実は昭和の名曲と思っていたけど平成の名曲だった7曲

若者や中高年の間で流行し、カラオケやうたのランキングでも上位にランクインしているのが昭和の代表曲と言われる名曲です。

最近は動画配信で簡単に昭和の演歌から平成の邦楽まで幅広く、そして簡単に視聴や動画再生できます。

若者が懐かしいアーティストのメドレー曲や懐かしいアニメソングを歌っていたりすると、年配の人がその歌手の情報はどこから得たの?と思ったりします。
昭和の名曲と呼ばれている曲はどの様な曲でしょう?
昭和の名曲と思っていた平成の7曲について探ります。

プリプリ「ダイアモンド」

出典:プリプリの「Diamonds」破天荒な女の子たちの友情と冒険の物語 引用:https://reminder.top/491091300/
後のグループ名「プリンセス プリンセス」は昭和58年に楽器ごとのオーディションにより結成された、ガールズバンドで、当初のバンド名は「赤坂小町(あかさかこまち)」という名で5人のメンバーで結成されています。

3枚目のシングル「MY WILL」が、スポーツ用品店「ヴィクトリア」のCMソングに起用され注目を集めたことから、その当時有名だった歌番組「夜のヒットスタジオDELUXE」に初出演しています。

後にテレビドラマやCMのタイアップに起用されるようになり、バンドの知名度もCDの売上も上昇していきます。

4枚目のアルバム『LET’S GET CRAZY』をリリースし、収録曲の「M」は後にリリースされるシングル「Diamonds」のカップリング曲にもなり、バンドを代表する曲の一つとなっています。

平成元年4月に7枚目のシングル「Diamonds」をリリースし、オリコンランキング1位を獲得し、一躍トップアーティストの仲間入りを果たしています。

大ヒット曲「Diamonds」で第22回日本有線大賞も受賞し、NHK紅白歌合戦からも出演のオファーがあったもののスケジュール上の都合で辞退しています。

既に発売されていた2ndシングル「世界でいちばん熱い夏」がCD化され、オリコンチャートで1位を獲得しています。

カップリング曲の「世界でいちばん熱い夏」は、ライブで演奏していたアレンジをレコーディングしたものであります。

そんな人気絶頂の中で、平成7年4月プリンセス プリンセスの解散をレコード会社関係者に伝え、平成8年5月31日の日本武道館ライブをもって「プリンセス プリンセス」はその活動に終止符を打ちます。

バンド活動は13年間にわたり、ライブの観客動員数は190万人を記録。13年間で発表されたシングルは21枚、アルバムは15枚(ベスト盤含む)。オリジナルソングは120曲に上ります。

平成23年3月11日東日本大震災をきっかけに再結成し復興支援として、1年間の期間限定で16年ぶりの再結成を発表し、再結成後に幕張メッセで東日本大震災復興支援チャリティーコンサートを行っています。

第54回日本レコード大賞に出演し特別賞を受賞し第63回NHK紅白歌合戦にも初出場していますが、平成25年3月の追加公演を最後に、再結成活動を終了しています。

爆風スランプ「Runner」

出典:爆風スランプ 引用:http://picdeer.com/
バンドコンテストで最優秀グランプリを受賞したファンキー末吉と江川ほーじん、優秀グループ賞を受賞したサンプラザ中野とパッパラー河合の4人により結成されたのが爆風スランプです。

当初、ライブで過激なパフォーマンスと過激且つユニークな歌詞や演出などからコミックバンドとして活躍していたバンドです。

1985年6月に夜のヒットスタジオDELUXEに初出演しますが、火を使うパフォーマンスをしたり、スタジオ内を歩き回りセットを壊したりテレビカメラの上に乗りと大暴れしたりしています。

バンド活動に限界が見え始めてきたことから、1986年にプロデューサーとして新田一郎を迎え、新田が社長を務める代官山プロダクションに移籍しています。

末吉の作った曲に、中野が辞めていく江川の姿を歌詞にして、「Runner」が誕生し、1988年に発表され、この曲は34万枚を売り上げることとなります。

『第39回NHK紅白歌合戦』に出場し、翌年に二度目の武道館公演を行っています。
当時人気番組だった『天才・たけしの元気が出るテレビ』の挿入歌に使用された「Runner」は、初のビッグヒットとなります。

現在でもカラオケでもノリのいい曲として脚光を浴び、30代40代の若者から中年世代にかけモチベーッションの上がる曲として歌われており、また現在でも高校野球のブラスバンドの応援歌における定番曲としても定着しています。

RunnerはYouTubeの検索で、19万回以上の再生回数を記録しており動画を視聴しモチベーッションを上げている人も多くいます。

その後も「月光」「リゾ・ラバ」とヒット曲を続々と生み出し、アルバム『しあわせ』に収めている「大きな玉ねぎの下で」のリメイクバージョン「大きな玉ねぎの下で 〜はるかなる想い」も大ヒットとなっています。

ウィンク「寂しい熱帯魚」

出典:Amazon 引用:https://www.amazon.co.jp
「寂しい熱帯魚」は平成元年4月中旬から,パナソニック・ヘッドホンステレオのCMにWinkが起用されその後、「アマリリス」以来10ヶ月ぶりとなるWinkのオリジナル(非カヴァー)曲として発売されます。

1曲目が1993年2月17日にシングル化され「永遠のレディードール」、2曲目が本曲、3曲目が本曲のB面となり「背中まで500マイル」で発売されています。

発売から少ししてオリコン初登場1位を獲得し、100位以内に20週連続ランクインという記録を作っています。

平成元年のオリコン年間ランキングでは7位にランクインし、Winkのシングルとしては、「愛が止まらない」の62.95万枚に次ぐ54.873万枚の売り上げを記録しています。

それまでは洋楽をカヴァーしてきたWinkにとって、オリジナル曲としては最大のヒットソングとなっています。

この年、Winkは同曲で『第22回全日本有線放送大賞』で年間グランプリに輝き、『第31回日本レコード大賞』で日本レコード大賞を受賞しています。

また、この楽曲で『第40回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たしています。

「独特の振付で」で印象的なこの曲は、無表情で笑顔も無く歌われることによってWinkのその後のイメージを決定づけるものとなっています。

平成30年4月27日には17cmアナログ・シングルが完全限定盤として、ダブル・ジャケット仕様で再リリースされています。

YouTubeの動画検索でも再生視聴回数が90万回再生を越えており、切ない恋心歌詞に込め熱帯魚にたとえ歌われています。

ZIGGY(ジギー)「GLORIA」 (グロリア)

出典:HMV&BOOK  引用:https://www.hmv.co.jp/productitemstock/stock/8390998?shu=9
平成元年にフジテレビ系テレビドラマ『同・級・生』の主題歌に起用され、約32.9万枚(オリコン3位)の売り上げを記録し、ZIGGY最大のヒット曲となったのが「グロリア」です。

作詞、作曲は森重樹一で、当時歌う楽曲が少なく増やそうと思って書いた曲でしたが、初めてバンドメンバーに聴かせた時には、歌謡曲要素が強くロックでは無いと反発をうけます。

「GLORIA」がヒットした当時、ライブやテレビ等で演奏した際、サビの「HOLD ME TIGHT」の部分はドラムの大山正篤が歌っています。

国内では、高橋真梨子、つるの剛士、EXILE TAKAHIROなど多くのアーティストによってカバーされています。

ZIGGYは1984年、森重樹一 を中心に結成され、1987年にメジャーデビューし、ZIGGYに惹かれた中高生によるコピーバンドが多く出現し、バンドブームを牽引しています。

お笑いタレントのよゐこも、学校の文化祭で「GLORIA」をツインボーカルで歌ったことがありZIGGYに会えることを期待し、ライブ会場の設営アルバイトをしています。

ZIGGYの商品は、現在どもAmazonで新品2,500円前後で販売されているのに対し、中古品でも1,800円前後で販売されており中高年に根強い人気を誇っています。

また、YouTubeでは「GLORIA」を検索すると、1300万回再生を記録しており絶大な人気だったことがうかがえます。

名曲「GLORIA」は制作当時、作詞、作曲した森重樹一が毎日浴びるようにお酒を飲みながら、ギターを弾いたり、レコードを聞いたりしており、そういう毎日の中の一日に、ぽろっとできた曲であることを語っています。

歌詞は「彼女を愛している歌なのか?」という歌ではなく、よく聞くと「俺のことを愛してくれ」っていう歌であり、「GLORIA」は女性への愛情を綴った曲ではなく、愛を求める曲だと重森樹一は語っています。

歌の主人公は「自分勝手な人だな」と思って曲を聴いてくれるとさらに良い曲に聞こえるとも重森樹一は語っています。

長渕剛「とんぼ」

出典:ヤフオク 引用:https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/335315085
地方から都会に憧れて上京してきた若者の挫折と苦悩を歌い上げた楽曲が長渕剛の歌っている「とんぼ」です。

「とんぼ」を幸せの象徴に例え手の届かないものとして描写し、歌詞に盛り込んでいます。

東京に憧れた人の挫折と苦悩のストーリーは、聴く人の胸に熱く響く「憧れの大都会・東京で夢を追い求め、もどかしい日々を過ごす青年を描いています。

1988年10月26日に東芝EMIのエキスプレスレーベルより発売さており、アルバム『昭和』(平成元年)収録バージョンはミックスが異なっており、全体的にエコーが抑えられ乾いた音質になっています。

長渕自身が出演したTBS系テレビドラマ『とんぼ』(1988年)の主題歌として使用されており、『とんぼ』撮影開始の二、三ヶ月前に長渕剛本人が、監督の元を訪れ、「この曲を聴いてくれ」と要求し主題歌として採用、使用されています。

ドラマ内で使用されている音楽は全て長渕剛が作曲と演奏を行っており、曲がシーンに合わない時は、一晩で新たに曲を作り対応しています。

『とんぼ』(1988年)の続編となるフジテレビ系テレビドラマ『英二ふたたび』(1997年)が放送され再び主題歌として使用されています。

1999年5月1日には長渕剛の主演映画『英二』が公開され、三度主題歌として使用され、2007年には、サントリーの缶コーヒー飲料「BOSS」の、ジャンパープレゼントのキャンペーンソングも使用されています。

長渕剛は、警察官の父親と母親の次男として生を受け、姉との2人姉弟です。
幼い頃は体が非常に弱く、よく喘息発作を起こし病院通いをしています。

中学3年の正月にガット・ギターを購入し思いのままに楽曲をコピーし楽しんでいます。
上京後、世田谷区の新代田のアパートに住み1981年8月、女優の石野真子と結婚するも、その後離婚しています。

その後トラブル続きの人生でしたが、再婚し2男1女を授かります。

自身の詩画展を開き、その収益金の一部を阪神・淡路大震災で家を失った子供達等の為に寄付しています。

男闘呼組「Time Zone」

出典:Amazon 引用:https://www.amazon.co.jp/
時計メーカー「セイコー」の商品コマーシャルソングで、タイアップを獲得した作品は当楽曲だけであり、2枚目のアルバム「男闘呼組 二枚目」には収録されていません。

ライブでの定番の一曲であり、シングル発売以後のコンサートツアーでは必ず歌われた数少ないシングル曲です。

平成元年末の「第40回NHK紅白歌合戦」(第2部)へ、2年連続2回目の出場を果たしますが、現時点で男闘呼組の紅白出演は最後となっています。

YouTubeの検索では、動画再生が50万回を超える動画もあるなど、中高年には懐かしい存在です。

雑誌の企画でジャニーズJr.の中から数名を集めてバンドグループを結成するという企画があり「東京」というグループが結成されます。

新たに遠藤直人と守屋二郎が加わり、5人で出演した明治製菓のチョコレート「アーモンドゴールド」オンエア開始されています。

その後、サポートメンバーの前田も含めた6名でグループ名を正式に「男闘呼組」へと改名されています。

当時高視聴率番組であるテレビ朝日の『欽ちゃんのどこまでやるの!?』にも出演開始していますが、メンバーのうち土田がメンバーから外されます。

やがて、リズムギター担当だった遠藤も脱退し、元々の主要メンバーである成田・高橋・岡本の3名だけでの活動が続き、明治製菓のチョコスナック「おばけランド」のCMに出演しています。

「東京男組」の時から時折サポート的に参加していた前田が、ドラム担当として正式に男闘呼組に迎え入れられ、高橋の担当楽器がドラムからベースギターに変更しています。

しかし、間もなくして前田の担当楽器もドラムからキーボードへと変わり、その後は2人のプロミュージシャンサポートメンバーとして迎え、6人編成のバンドスタイルで活動しています。

1986年1月に初の冠番組『アイドル花組おとこ組』放送開始され、同年4月27日、名古屋市民会館にて念願だったファーストコンサートを開催しています。

「DAYBREAK」(1988年発表シングル、オリコン最高チャート1位)でレコードデビューし、その際のキャッチフレーズは、「ジャニーズ事務所のおちこぼれ」です。

続いて「秋」「TIME ZONE」などの楽曲がヒットし、 1991年発表のシングル「ANGEL」からは自作曲が中心となります。

デビュー前からメディアへのメンバーの露出が多いことや事務所側の期待の大きさもあり、レコードデビューより1年半前の1987年3月の時点で、当時の人気音楽番組であった、フジテレビ『夜のヒットスタジオ』への初出演を果たしています。

しかし、1993年6月30日付けで、突如グループが活動休止(実質的な解散)しています。

美空ひばり「川の流れのように」

作詞は秋元康、作曲は見岳章で、元々は1988年12月発売のアルバム『川の流れのように〜不死鳥パートII』の表題曲です。

アルバム『川の流れのように〜不死鳥パートII』は「自分の歌から遠い若い世代の人たちにメッセージを残したい」という美空ひばりの意向により、作詞には当時若者から人気を得ていた秋元が起用されています

1988年10月11日に日本コロムビア本社内で行われた、オリジナルアルバム製作の報告会で美空ひばりは、アルバムに収録されてる10曲がどんな曲なのかを問われ、『川の流れのように』1曲を聴けば、全10曲が分かると話しています。

1989年(平成元年)1月11日に日本コロムビアより発売され、同年6月24日、ひばりは52歳の若さで逝去しています。

結果的に本楽曲は遺作となり、没後にシングル盤は売上を伸ばし、150万枚を売り上げるミリオンセラー(オリコンによる集計では41.8万枚)となり、1964年の「柔」に次ぐヒット曲となっています。

1989年7月22日に青山葬儀所で執り行なわれたひばりの本葬では、北島三郎、都はるみ、雪村いづみ、森昌子等といった数多くの歌手仲間がこの曲を葬場で歌って美空ひばりとの別れを惜しんでいます。

この曲の歌詞にでてくる『川』とは、ニューヨークのイースト川のことであり、当時の秋元はニューヨークに在住しており、現地のカフェ「カフェ・ランターナ」で作詞しています。

秋元は、いつも作詞を終えてからタイトルを付けているが、その時は不思議と何も考えずに「川の流れのように」というタイトルから書き始めた唯一の作品だという。

秋元康は、「多分それはずっとイーストリバーを見ていたからなんでしょう」と回想しています。

第31回日本レコード大賞では、本楽曲に「金賞」と「作曲賞」が授与されるとともに、故人となったひばりにも「特別栄誉歌手賞」が授与された。
長年にわたる彼女の偉大な音楽業界への業績を称えて、この年から日本レコード大賞に「美空ひばり賞」(後に「美空ひばりメモリアル選奨」へ変更)も新設された。

日本放送協会(NHK)が1997年4月から12月にかけて実施した「20世紀の日本人を感動させた歌」の人気投票で、本曲が43万7518票を獲得して1位に選ばれています。

2000年3月に、映画『川の流れのように』の主題歌として久石譲による編曲でピアノ伴奏とオーケストラ演奏に一新した「川の流れのように 2000」がCD発売された。

さらに、ミレニアム企画として同年7月に発売されたトリビュートアルバム『美空ひばり トリビュート』ではバラード調の楽曲に仕上がった「川の流れのように Millennium」が収録され、参加アーティストによる“歌詞パートの歌い継ぎ”に混ざってひばりも参加しています。

まとめ

これら昭和歌謡を象徴するこれらの曲、実は驚くことに全部平成です。
しかも全部平成元年だったのです!!

昭和と平成は、良くも悪くも本当に激動の年であり、音楽業界も例外ではなく激動の年であったと言えます。

平成元年多くの名曲が世に送り出されました。
では令和元年は、どうでしょうか?
米津玄師「Flamingo」
神山羊「YELLOW」
back number「HAPPY BIRTHDAY」
Eve「僕らまだアンダーグラウンド」
さなり「Prince」
令和元年上期の人気曲をピックアップしてみましたが、まだ令和は始まったばかりです。

これからはどの様な曲が発売され、令和の名曲になっていくのか今後も新しい楽曲から目が離せません。

ABOUT ME
GOSPELS OF JUDAS
転職を数えること6回しています。無理しないが人生のテーマ。でも数社役員に。無理しないで転職を繰り返すことも大事。その上で婚活から音楽まで。幅広いジャンルの記事を書いています。Pairsでいろいろ検証も。そのあたりのノウハウも徐々に書いていきますね。